2/22-2/27▷金港入道|石漆「愚者の石」
2022年2月22日(火)~2月27日(日)
初日 17;00~19:00 水~土 12:00~19:00 最終日17:00まで
協力:玉川企画
路傍の石に祈りを込めて
gallery fuでは2月22日(火)から2月27日(日)まで、金港入道展|石漆「愚者の石」を開催いたします。
金港入道(雅号/本名:伊藤修)は1951年横浜で生まれ、東京造形大学芸術学部彫刻科を除籍後、鎌倉の漆工房で漆芸・乾漆を学び、1979年8月にアメリカからメキシコ、ブラジルを旅したことをきっかけに、1983年5月にブラジルへ移住。ブラジルのパラ州ベレン市にて作家活動を行ないながら、1992年8月に日本へ帰国するまでの13年間、ブラジルで生活する。
ブラジルからの帰国は、周囲の人々から“国境を超え、再び帰ってきた者”という冷たい視線を向けられ、日本での住み心地の悪さを実感したと言う。
2013年から縁あって、日本から海外に移民し無縁仏となってしまった方々を供養する日本唯一の慰霊施設、伊豆大島富士見観音堂の堂守となる。伊藤はその方々のために、イヌクシュク(人の手によって積み上げられた石組ケアンを意味する)のように道標として、そして鎮魂の意を込めてただひたすら石を積む。路傍の石を拾い、そこに漆をかけていく。それは伊藤自身への祈りにもつながっているのだろう。石漆作品40数点を展示。
※いし‐うるし【石漆】|漆の枝から取ったままの液。ねばりが強く、石や器具などのこわれたものを継ぐのに用いる。せしめうるし(石漆・瀬〆漆)。
展覧会によせて
私の創作活動は、彫塑から始まり、漆芸・乾漆を1972年から学び、アマゾン移住を機に動物や魚の木彫作品へと変遷していきました。
私は、アマゾンで制作した作品を以て、1991年の日本での個展以来、創作活動から遠ざかっておりました。
ブラジルからの帰国は、私も家族もまさしく、「日系ブラジル人の出稼ぎ」という社会現象の渦中、言葉のできない妻と4人の子供たちと、故郷日本で、「外人」という生きにくさと、国境を越えた者の疎外感を感じながらの生活でありました。
さて私は、アマゾンというキー・ワードからの御縁があって、2013年より、日本唯一の日本人海外移住先亡者の菩提をお祈りする伊豆大島富士見観音堂の堂守をさせていただいております。しかし、明治元年から始まる日本人移民の歴史を知る事なく、多くの海外移住者と生活を共にする今日の日本社会の中で、私と同じ境遇の方々が他界し、収まる墓もなく迷う事を知るにつけ祈りは、形を有し、思いは刷毛を動かす事となりました。
「石を積みあげ標とする」という行為は、古来から「亡者」への祈りでもあり、イヌクシュクのように「生」の道標でもあります。語りつくせぬ思いを作品に込め、異なる事に寛容な世界、より良い社会である事を祈念いたします。
南無大悲観世音菩薩 合掌
金港入道 修真
金港入道/KINKOH Nyudoh|漆芸・造形作家
本名:伊藤修/法名:修真
1951年 横浜市生まれ
露天焼肉商 焼肉師
曹洞宗 僧侶
日本人移民霊場 伊豆大島富士見観音堂 堂監
※雅号金港は、横浜港の明治時代の別称でした。横浜生まれの私がブラジル移民となり明治元年から始まる日本人移民の歴史を知る時、故郷を胸に刻む名といたしました。
1971年 東京造形大学芸術学部彫刻科 除籍
1972年 横浜市入庁
1975年 横浜市退庁
1977年 漆工房呂修庵 開設
1979年 訪米、訪墨、訪伯(漆芸技術の西進研究)
1983年 訪伯、以後ブラジル・パラ州ベレン市にて作家活動
1988年 NHKラジオ「世界の町から」
1989年 読売新聞「ガイヤの夜明け」
1989年 アマゾンのガンジー
1989年 シコ・メンデス暗殺事件取材コーデネイト
1991年 木彫個展「アマゾンの吃音」(群馬)
1992年 帰国
1993年 栃木県警 通訳人、法廷通訳人
1997年 ポルトガル語24時間ラジオ開設(USEN11チャンネル)
2004年 ステーキ・ハウス ガウシャ開業
2011年 キューバ親善大使アレイダ・ゲバラ訪日、ガウシャで講演会開催
2013年 露天焼肉ガウシャ開業
2018年 得度 法名:修真
2022年 個展|石漆「愚者の石」gallery fu(神奈川・横浜)
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